研修記

ご恩に報いるために

2005.02.24.木

From: 小山昇
Date: Thu, 24 Feb 2005

ご恩に報いるために
小山昇

私が藤本社長と縁が出来たのは、昭和四十三年の五月か六月頃だったと思います。
東京経済大学に在学中、ゼミの先輩に中西政喜さん(入社当時店長)が一緒だったのがキッカケでした。
同じゼミに、その後入社した池田和夫君もいました。

社長の最初の印象は、会社は活気があるのに、おとなしい方だと思いました。
朝礼も今にして思えば、時代の一歩先をおこなっている様でした。
ラジオ体操あり、歌あり、報告、経営理念と、バラエティーにとんでいました。
当時は家庭用が主力で、初日に中西さんに連れられて、シーダー(現在のリーダー)会で、丹羽さん、翌日に槇島さん宅にご一緒した記憶があります。
それから、日曜日など会社へ行きますと、いつも中西さんが仕事をしておりました。
日曜日は、出勤時間は自由だし、好きな時に帰れるので、仕事がはかどったことなども覚えております。

私は、家が山梨(通勤)でしたので、そのうちに社長の家に居候のようになり、一週間のうち三日位は、社長の隣に布団を敷いて寝ていました。
奥様(現社長)には、居間のソファーに寝て頂いたこともありました。
風呂はいつも一番で、勝手にビールを飲みながら、奥様や、時々泊まりに来る親戚の多田さん(現経理部長)と三人で、いつも社長にいろいろと提案や文句など、言いたいことを言っておりました。
しかし、いつも社長は黙って聞いていました。

社内表彰制度というのが半期毎にあり、私は、公私共に見られておりましたから、社内表彰はいつも他の人にさらわれてしまい、いつも次は自分だとがんばりましたが、ついに一度も表彰されませんでした。
藤本社長の思い出で一番すごかったのは、月売り上げ1000万円の時代に、一ヶ月間の販売促進費(キャンペーン費用)を1000万円使わせてくれたことです。
現在でも1000万円は大金です。今にして思うこと、わけもわからない私が、よくも1000万円というお金を使い切ったと思うし、また、大金を黙って使わせた下さった心の広さに、今でも感謝しております。
そして、経営者の器の大きさを感じました。
その大金を使った結果、三百万の契約が出来、たいしたものだと自己に酔いしれておりました。
そして約一ヵ月後、新規を取ることばかりに目がいき、レンタルのことなどまったく考えていませんでしたので、ほとんどのお客様がレンタルすることなく、どこかに消えてしまいました。
虎の子のお金が、あっという間に消えてなくなりました。
普通ならクビか、小言の一つや二つは言われても仕方がないのに、社長は何一つ言いませんでした。
この時ばかりは、社長は心が広いのか、または私にあきれはてて言葉を失ったのかは、今だに解りません。

この時の体験は、その後の私の成長に大変な影響を与えてくれ、今日あるのも、藤本社長が大きな経験をさせて下さったからだと思います。
今までに数多くの社員が入社し、またやめても行きましたが、公私共に一番迷惑をおかけしましたのも、私ではないかと思います。
そして、もし二、三年遅れて入社していたならば、会社も大きくなっていただろうし、二、三ヶ月でやめていたかもしれません。

最後に、日本サービスマーチャンダイザーグループが、年商十三億以上も売り上げがあるのは、社長の勉強好きにあると思います。
ダスキン本社が、定期的な勉強会を行っているのも、藤本社長が初代加盟店会会長だったからだと聞いたことがあります。
社長は、賞与とか給与の引き上げには人一倍ケチでした。
ただ、勉強会、セミナー等には、会社の大きさから言えば十分すぎる程出させて頂きました。
また、私が一番勉強に燃えていた時は、よく”賞与前借りで”といって、他の加盟店に勉強に行きましたが一度も賞与からお金を引かれたことはありませんでした。
このご恩に報いるには、いつも社長が目標にしておりました年商三十億を、あとに残った組織員一同と、力を合わせて達成することだと思っております。

どうか社長、私たちの今後の活躍を、天国でお見守り下さい。